Introduction
一流ファッション誌で女性を撮り続けたファッション・フォトグラファーの巨匠
彼にインスピレーションを与えた12人の女たちの視点から、
“20世紀を最も騒がせた写真家”の撮影の舞台裏に迫るドキュメンタリー
彼にインスピレーションを与えた12人の女たちの視点から、
“20世紀を最も騒がせた写真家”の撮影の舞台裏に迫るドキュメンタリー
女性に惹かれながら、弱みを握られて腹を立てているの。
そんな文化を暴く彼の写真は面白いわ。
そんな文化を暴く彼の写真は面白いわ。
――イザベラ・ロッセリーニ(女優)
長年にわたって一流ファッション誌で女性を撮り続けたファッション・フォトグラファーの世界的巨匠ヘルムート・ニュートン。2004年にロサンゼルスで自動車事故により不慮の死を遂げた後も、長く人々の記憶に残り続けている写真家のひとりだ。
1920年ベルリンに生まれ、映画やラジオなどの大衆文化が広まったワイマール文化の中で育ったニュートンは、50年代半ばから各国版の「ヴォーグ」誌をはじめとするファッション誌にユニークかつ衝撃的な作品を次々と発表。ワーグナーの歌劇に登場する女神のような女性たち、バロック趣味のインテリアや建築物に覆い尽くされた作品世界は、それまでの着せ替え人形のようなモードを見慣れていた読者に強烈なインパクトを与えた。だが、その作品は「ポルノまがい」「女性嫌悪主義」との議論も巻き起こし、「20世紀を最も騒がせた写真家」とも呼ばれた。
本作は、2020年にニュートンの生誕100年を記念して制作されたドキュメンタリー。シャーロット・ランプリングやイザベラ・ロッセリーニ、ハンナ・シグラといった女優たちに加え、米国版「ヴォーグ」編集長のアナ・ウィンター、モデルのクラウディア・シファーらの貴重なインタビューを収録。さらに、ニュートンを鋭く批判した批評家スーザン・ソンタグとのTV討論のアーカイブ映像なども紹介する。稀代の才能の作品世界を、ニュートンにインスピレーションを与えた12人の女性たちの視点から捉え直したスリリングなドキュメンタリーだ。Profile
ヘルムート・ニュートン
HELMUT NEWTON
1920
10月31日、ドイツ・ベルリンで生まれる。
1936〜38
モードやヌード写真に定評のある女流写真家イーヴァ(エルゼ・ジーモン)のもとで修行する。
1938
イーヴァのアトリエが営業停止となる(イーヴァは1942年頃に強制収容所で死亡)。ニュートンは中国へ逃れる途中、シンガポールに寄港し滞在。「シンガポール・ストレイト・タイムズ」の写真部員となるが2週間で解雇される。
1940〜
オーストラリアへ移住。17年間を過ごす。
1947
女優のジューン・ブラウンと出会う。翌年結婚。ジューンはアリス・スプリングス名義で著名な写真家になる。1956年にロンドンへ移住。
1957〜
ロンドンからパリへ移住。「ヴォーグ」(イギリス・アメリカ・フランス・イタリアの各国版)のために定期的に制作をする。その他、「エル」「マリ・クレール」「プレイボーイ(アメリカ版)」「シュテルン」などで活躍する。
1975
パリのニコン画廊で初の個展を開く。
1976
東京のアート・ディレクターズ・クラブからベスト・フォトグラフ賞を受賞。
1978〜79
最高のエディトリアル写真に与えられるドイツ・アート・ディレクターズ・クラブ金賞受賞。
1981
モンテカルロに移住。
1989
東京都庭園美術館にて「写真展 ヘルムート・ニュートン/ポートレート」が開かれる(日本では1995年に小田急美術館でも写真展が開催)。
2004
1月23日、カリフォルニア州ハリウッドで自動車事故にて死亡。享年83歳。
Words by NEWTON
写真
私の写真について言えるただ一つのことは、決して不鮮明ではないということである。私は芸術を生み出しているとも主張しない。私の写真にメッセージはない。写真は極めてシンプルで、どのような説明も必要としない。もし写真を理解するのに時間がかかるなら、それはその写真に細部事項が多く、多くのものが表現されているからにすぎない。しかし一般的に私の写真はシンプルである。
訓練
最初、私は報道写真家でありたいと思い、世界中を旅した。しかしそれはうまくいかなかった。私の写真のインスピレーションは一部ニュース写真から生まれる。私は新聞の報道者をとても崇拝している。
演出
私が興味のあることは演出である。私はショーウィンドウのマネキンに魅せられる。よくモデルはマネキンに見える。逆にマネキンは人間に見える。その混合が私を楽しませる。私は絵を描くことができないから、私は仕事の全てを最初に書き出す。いつも手帳を持っていて、そこに撮ろうとしている写真について、細かい事項まで書き留める。
被写体
私が撮影する世界は非常に特殊である。常にいやほとんどいつも同じキャラクターがいる。それは常に女性で、明らかに金持ちの女性である。私はよく上流階級を写真に撮る。なぜならば私はその世界を非常によく知っているからだ。
女性
私はスタジオで多く仕事をしない。なぜなら女性は白い背景の前では生きることができないと考えるから。
挑発
私はリアクションが好きで探している。私は親切も礼儀正しさも好きではない。私が嫌う唯一の挑発はシュルレアリストのイメージの挑発だ。それは私の世界に居場所がない。
悪趣味
私は悪趣味を愛している。趣味が良いということは所詮、標準的なものの見方しかできないということだ。
Twelve Women
本作でインタビューに登場した12人の女たち
(※Ⅻのスーザン・ソンタグはアーカイブ映像)
Ⅰ シャーロット・ランプリング
Charlotte Rampling
Ⅱ イザベラ・ロッセリーニ
Isabella Rossellini
Ⅲ グレイス・ジョーンズ
Grace Jones
Ⅳ アナ・ウィンター
Anna Wintour
Ⅴ クラウディア・シファー
Claudia Schiffer
Ⅵ マリアンヌ・フェイスフル
Marianne Faithfull
Ⅶ ハンナ・シグラ
Hanna Schygulla
Ⅷ シルヴィア・ゴベル
Sylvia Gobbel
Ⅸ ナジャ・アウアマン
Nadja Auermann
Ⅹ アリヤ・トゥールラ
ARJA TOYRYLA
Ⅺ ジューン・ニュートン
June Newton
Ⅻ スーザン・ソンタグ
Susan Sontag
Ⅰ シャーロット・ランプリング
Charlotte Rampling
世間を挑発するって最高。
挑発されると思考やアイデアが刺激され、会話も弾むわ。
そんな人間が必要よ。
1946年、イングランド・エセックス州スターマー生まれ。モデルとしてキャリアをスタートさせ、1965年の『ナック』で映画デビュー。巨匠ルキノ・ヴィスコンティ監督に見初められ、『地獄に堕ちた勇者ども』(69)に出演。その後『愛の嵐』(73)で脚光を浴びる。語学が堪能なことからフランス映画への出演も多く、フランソワ・オゾン監督の『まぼろし』(01)、『スイミング・プール』(03)に主演し、円熟した演技で再び注目を集める。アンドリュー・ヘイ監督『さざなみ』(15)では、ベルリン国際映画祭銀熊賞(女優賞)に輝き、アカデミー主演女優賞にノミネートの快挙となった。大英帝国勲章OBEを受章。
挑発されると思考やアイデアが刺激され、会話も弾むわ。
そんな人間が必要よ。
Ⅱ イザベラ・ロッセリーニ
Isabella Rossellini
レニ・リーフェンシュタールが男性を描くやり方で彼は女性を撮った。
力強くて美しくて恐ろしい映像。同時に反発も覚える。
1952年、イタリア・ローマ生まれ。母親は大女優イングリッド・バーグマン、父親はイタリア映画の巨匠ロベルト・ロッセリーニ監督。デヴィッド・リンチ監督の『ブルーベルベット』(86)で女優としての地位を確立し、『永遠に美しく…』(92)『不滅の恋/ベートーヴェン』(94)などに出演。ランコムのミューズを15年に務め、モデルとして世界中の女性に影響を与える。近年は、15年のカンヌ国際映画祭「ある視点」部門審査員長に就任、16 年に再びランコムのミューズに就任、19年にはニューヨーク市立大学ハンターカレッジで動物行動学の修士号を獲得、動物の性生活をテーマにしたTVシリーズ「グリーン・ポルノ」(19)を制作するなど、多岐にわたって活動を続けている。
力強くて美しくて恐ろしい映像。同時に反発も覚える。
Ⅲ グレイス・ジョーンズ
Grace Jones
彼の写真はエロティックでありながら示唆に富み、
深みがあって写真の中に物語が流れてる。
1948年、ジャマイカのスパニッシュ・タウン生まれ。65年NYへ移住し、演劇を学ぶ。76年頃からモデルとしてキャリアをスタート、その頃ニューヨークのクラブ「Studio54」でアンディ・ウォーホルに出会い、ミューズとなる。80年に「Private Life」で歌手デビューを果たすと、抜群のスタイルを前面に押し出したミュージック・ビデオを武器にチャートを席巻した。180cm近い身長に加えて、モヒカン・スタイルの独特のヘア・メイクや肩パッドのファッションは、当時の世界的な流行の最先端となる。現在も抜群のプロポーションを維持し、積極的にライブ活動を行っている。女優としては『キング・オブ・デストロイヤー/コナンPART2』(84)『007 美しき獲物たち』(85)などに出演。
深みがあって写真の中に物語が流れてる。
Ⅳ アナ・ウィンター
Anna Wintour
彼に仕事を依頼するのは、読者の目をくぎ付けにする写真。
ずっと記憶に残る、象徴的で不躾な写真。でも確実に示唆に飛んだ写真。
そんな勇気ある写真が私は必要だと思う。
1949年、イギリス・ロンドン生まれ。父親は英国の夕刊紙「イヴニング・スタンダード」の編集者。1970年「Harper's & Queen」の編集アシスタントとしてファッション業界に入り、1975年に姉妹誌「Harper's BAZAAR」のファッション・エディターとしてNYへ渡る。1983年に米国版「VOGUE」のクリエイティブ・ディレクターに抜擢。1986年に母国へ戻り英国版「VOGUE」の編集長を就任し最先端トレンド誌へと導く。1988年に再度渡米し、38歳で米国版「VOGUE」の編集長となった。彼女をモデルとした映画『プラダを着た悪魔』(03)が世界中で大ヒットし幅広い人達にその名を知られる存在となった。2008年、長年ファッション界へ貢献されたことを評価されて、大英帝国勲章を授与。
ずっと記憶に残る、象徴的で不躾な写真。でも確実に示唆に飛んだ写真。
そんな勇気ある写真が私は必要だと思う。
Ⅴ クラウディア・シファー
Claudia Schiffer
彼の撮るショットは、ハイファッションに粋なひねりが効き、
セクシーな要素と一体化する。
1970年、ドイツ・ラインベルク生まれ。90年代を代表するスーパーモデルのひとり。17歳の時にデュッセルドルフのナイトクラブでスカウトされ、モデルとしてデビュー。その健康的な容姿はたちまちヨーロッパ中で注目の的となり、パリを拠点に雑誌、コレクション・モデルとして活躍し、カール・ラガーフェルドによって「シャネル」の新しい顔に選ばれた。「ヴェルサーチ」や「ドルチェ&ガッバーナ」「ジル・サンダー」などの世界的なブランドのコレクションにも起用された。シンディ・クロフォードやナオミ・キャンベルらと共にスーパーモデルとして一世を風靡した。映画では、『プレタポルテ』(94)『ラブ・アクチュアリー』(03)などに出演。
セクシーな要素と一体化する。
Ⅵ マリアンヌ・フェイスフル
Marianne Faithfull
彼はワイマール時代の芸術家。芸術運動が栄えたドイツ表現主義の時代と繋がってる。
1946年、イギリス・ロンドン生まれ。先祖にハプスブルグ家などの家系を持つ名門貴族の出身だが、両親が離婚したため修道院で育つ。64年にローリング・ストーンのミック・ジャガーとキース・リチャーズらが書いた「涙あふれて」で歌手デビュー。ロリータ的美貌と歌声で人気を博す。ジャン=リュック・ゴダール監督に見出され『MADE IN USA』(66)に出演、アラン・ドロン主演の『あの胸にもういちど』(68)でヒロインに抜擢される。その後、酒やドラッグ、自殺未遂などのスキャンダルによって失墜。79年に歌手として再起し、ソフィア・コッポラ監督の『マリー・アントワネット』(06)のマリア・テレジア役、『やわらかい手』(07)では難しい主人公を演じ、女優としても高い評価を得た。
Ⅶ ハンナ・シグラ
Hanna Schygulla
私は低い社会階層の中で育った。
ビロードの服を着てた育ちのいいお坊ちゃんがそそられたのも分かるわ。
1943年、ポーランド・カトビチェ(当時はドイツ領)生まれ。ミュンヘン大学で学ぶ。66年よりアングラ劇団で演技を始めるが、67年にライナー・ヴェルナー・ファスビンダーに見初められ劇団を移る。68年には短編『花嫁、女優、そしてヒモ』で映画初出演。翌年、ファスビンダー第一作『愛は死より冷酷』で本格デビューし、『出稼ぎ野郎』『悪の神々』など同監督の作品で重要な役を演じ続け、国際的にも知られるようになる。『マリア・ブラウンの結婚』(78)でベルリン国際映画祭女優賞を受賞。『ピエラ・愛の遍歴』(83)でカンヌ国際映画祭女優賞、『そして、私たちは愛に帰る』(09)で全米映画批評家協会賞助演女優賞を受賞している。90年代以降はシャンソン歌手としても活躍している。
ビロードの服を着てた育ちのいいお坊ちゃんがそそられたのも分かるわ。
Ⅷ シルヴィア・ゴベル
Sylvia Gobbel
ヘルムートは被写体の人格を映し出す名人。分析医みたい。
オーストリア・ウィーンで育つ。19歳の時にモデルにスカウトされパリに移る。その2週間後、彼女の美貌はすぐにヘルムートの目に留り、「VOGUE」のオートクチュール版のモデルに起用される。1980年代、彼女を被写体とした「ビッグ・ヌード」シリーズは、ヘルムートがテーマとするエロチックな都市のスタイルの頂点と称され、一躍トップモデルに。ジャン・パオロ・バルビエリ、オリビエーロ・トスカーニ、ピーター・リンドバーグなど世界的なカメラマンに指名を受け、「ELLE」「COSMOPOLITAN」「GLAMOUR」「marie claire」などの表紙を飾った。現在もモデルを続けている。
Ⅸ ナジャ・アウアマン
Nadja Auermann
性差別的で女性蔑視だと責めることもできるし、
社会にあふれている現実を反映してるとも言える。
1971年、ドイツ・ベルリン生まれ。89年に、地元でスカウトされモデルデビュー。グラマラスなモデルブームが下火になり、ウェイフルックが台頭してきたと同時にブレイク。身長180cmで、股下108cmという抜群のプロポーションで、「最も足の長いモデル」としてギネスブックにも登録された。スーパーモデルブームが世界を席巻した90年代に「PRADA」「VERSACE」「VALENTINO」、「KARL LAGARFELD」などのビッグメゾンのショーや広告を飾った。現在はモデル業を引退している。
Ⅹ アリヤ・トゥールラ
ARJA TOYRYLA
被写体が若くて見た目がいいと、誘惑する写真家もいるけど、
彼はそんな素振りはみじんも見せなかった。
フィンランド生まれ。ヘルムートとの仕事多数。『VOUGE』『ELLE』『COSMOPOLITAN』の表紙を飾るなど70〜80年代を彩るトップモデルの一人。映画には、『Roads to the South』(78)、『Brigade mondaine: La secte de Marrakech』 (79)に出演。
Ⅺ ジューン・ニュートン
June Newton
写真は彼の生きがい、執念なの。
1923年、オーストラリア・メルボルン生まれ。旧姓ブラウン。女優として活躍していたが、モデル撮影でヘルムート・ニュートンと出会い翌年に結婚。1956年にエリッククトナー賞の最優秀女優賞を受賞し、女優のキャリアを築いていたが、ヘルムートが英国版「VOGUE」と1年契約を結び渡英。60年にはパリへ移る。70年にヘルムートが病にかかりダウン、急遽撮影の手ほどきを受けたジューンが撮影に挑んだ。それを機に独学で写真をおぼえ、アリス・スプリングスという地元オーストラリアの町の名前で、写真家としてのキャリアをスタートさせる。「Vanity Fair」や「VOGUE」といったファッション誌で撮影を重ね、1976年からはポートレートに中心に発表、高い評価を受ける。生涯、ヘルムートのインスピレーションの源泉であったという。
Ⅻ スーザン・ソンタグ
Susan Sontag
あなたの写真は女性蔑視もいいとこよ。女性として不快だわ。
1933年、アメリカのユダヤ系の家庭に生まれ、シカゴ大学を卒業後、ハーヴァード、パリの諸大学に学ぶ。1966年、「反解釈」で批評家の地位を確立した後、「ラディカルな意思のスタイル」「写真論」「隠喩としての病い」など話題作を次々と発表。30年余にわたり、批評家・小説家・映画監督・演出家として、つねに第一線で活躍した。2004年没。
Another two women
青年期のニュートンに影響を与えた2人の女性
イーヴァ
Yva
1900年、ドイツ・ベルリン生まれ。本名・エルゼ・ジーモン。25年にベルリンで写真スタジオを設立し、瞬く間にファッション、ヌードの写真家として成功する。写真の商業的側面を認識し広告で働いた最初の一人とも言われ、広告にシュルレアリスムの技法を取り入れ発表した。また、当時女性でありながら、性から解放された「女性の身体の形」をモダンに写し、高い評価を得る。32年世界初の国際写真芸術国際ビエンナーレに、33年、パリ国際ヌードサロン展に参加。36年にヘルムートは、アシスタントとして入門するが、同年ユダヤ人であったためイーヴァのアトリエはドイツ当局の管理下に置かれる。38年アトリエは営業停止に、1942年にソビボルの収容所に収容、その後死亡したという。
レニ・リーフェンシュタール
Leni Riefenstahl
1902年、ドイツ・ベルリン生まれ。本名ベルタ・ヘレーネ・アマーリエ・リーフェンシュタール。1926年、山岳映画『聖山』で女優としてデビュー、32年主演で初監督作品『青の光』を発表、ヒトラーに声を掛けられる。36年にナチス政権下のベルリン・オリンピック大会の記録映画『オリンピア』で、ベネツィア国際映画祭金獅子賞受賞。ナチス党大会の記録映画『意志の勝利』を監督した。戦後はナチスに加担したと非難、黙殺され続けた。70年代以降、アフリカのヌバ族を撮影した写真集と水中撮影写真集を発表。戦前の監督作品も含めて再評価も進んだ。2003年没。
Director
ゲロ・フォン・ベーム監督
1954年4月20日、ドイツ・ハノーファー生まれ、66歳(2020年9月時点)。ハイデルベルク大学で法律、社会科学とアート史を学ぶ。1975年にドイツの週刊紙「DIE ZEIT」のためのラジオ・ホストとジャーナリストの職に就く。1978年に、妻クリスティアーヌと彼自身の製作会社interscience filmsを設立。主にドイツのTV放送局ARDとZDF、ARTEで放送するドキュメンタリーの製作・監督をする。これまでに製作したドキュメンタリーは100本を超える。劇場公開作は『Hamlet in Hollywood - Die Welten des Maximilian Schell』(2000)、『Portrait of Bettina Rheims』(2004)、『Exodus? - Eine Geschichte der Juden in Europa』(2018)についで本作が4本目となる。
Credit
2020年/93分/カラー/1.78:1/ドイツ/英語・フランス語・ドイツ語
監督:ゲロ・フォン・べーム
製作:フェリックス・フォン・ベーム
撮影:PIERRE NATIVEL、SVEN JAKOB-ENGELMANN、MARCUS WINTERBAUER、ALEXANDER HEIN、PAULINE PENICHOUT、ULI FISCHER
編集:TOM WEICHENHAIN
出演:シャーロット・ランプリング、イザベラ・ロッセリーニ、グレイス・ジョーンズ、アナ・ウィンター、クラウディア・シファー、マリアンヌ・フェイスフル、
ハンナ・シグラ、シルヴィア・ゴベル、ナジャ・アウアマン、アリヤ・トゥールラ、ジューン・ニュートン、シガニー・ウィーバー、スーザン・ソンタグ、
カトリーヌ・ドヌーヴ、ヘルムート・ニュートンほか
挿入曲:
PICTURES OF YOU(ザ・キュアー)
LIBERTANGO(アストル・ピアソラ)
DAS GIBT NUR EINMAL(Marek Weber and his orchestra)
MAKE ME SMILE(スティーブ・ハーレイ&コックニー・レベル)